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  1. unohiromi
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「ありがとう」に、履歴書を添えなくていい。

こんな会話を思い浮かべてほしい。

会議のあと、同僚が近づいてくる。

「さっきの説明、助かりました。あれで、やることが分かりました」

こちらは反射的に答える。

「いやいや、全然。私、説明が下手なんで。途中も、ちょっとぐちゃぐちゃでしたし」

同僚はもう一度言う。

「でも、私は分かりやすかったですよ」

「いや、本当にそんなことないんです」

いつの間にか、説明の評価をめぐる小さな討論会が始まっている。議題は「この人に感謝してよいか」。感謝した本人が、感謝する正当性を説明させられている。

同僚は、お礼を言いに来ただけだった。プレゼンの第二部まで始まるとは聞いていない。

もちろん、謙遜は会話の習慣でもある。「いえいえ」が軽い挨拶として通じている場面もある。言い方を一つ取り上げて、性格を診断したいわけではない。

ただ、相手が何度も伝えてくれているのに、どうしても受け取れないとき。そこでは、相手の言葉が別の問いに変換されているかもしれない。

「あなたのおかげで助かった」が、「あなたは立派な人間です」に聞こえていないだろうか。

相手は、君の全人生を褒めていない

朝、家で不機嫌だった。返信を一件忘れている。昨日も先延ばしをした。人に見せていない、たいへん残念な引き出しがある。

そんな自分を知っているから、「助かりました」と言われると落ち着かない。

本当の私を知らないだけだ。そこまでの人間ではない。期待されても困る。

それで、褒め言葉が着地する前に打ち返す。

しかし相手は、引き出しの査察には来ていない。今日の説明で、やることが分かったと言っている。

君の今朝の不機嫌と、相手の午後の理解は、両方とも起きていてよい。

私がここで分けたいのは、「自分はどんな人間か」という全体の評価と、「この場面で、誰に何が起きたか」という個別の出来事だ。

説明に不出来なところがあった。それでも、相手には役立った。

十分に親切な人ではないかもしれない。それでも、今日差し出した傘で、誰かが濡れずに済んだ。

人格の完成を待っていたら、傘はいつまでも貸せない。雨のほうが先にやむ。

自分を低く見ることも、相手を見失う理由になる

PCMでは、コミュニケーションを、送り手の意図だけで終わらせず、受け手に何が生じたかまで含めて考える。

こちらが「うまく話せなかった」と思っていても、相手が「一つ分かった」と言うなら、そこには自分の採点表に載っていない情報がある。

その情報を聞く前に、「私にそんな力はありません」と消してしまうのは、少しもったいない。

自分を大きく見せるときだけ、人は自分に気を取られるのではない。自分を小さく見せる作業に忙しいときも、相手の顔が見えなくなることがある。

ここを読んで、「謙遜する私は、相手を見ていない駄目な人間なのか」と思ったら、少し待ってほしい。

また、全人生の審査が始まりかけている。

今日は、返事の一つを扱っているだけだ。君を丸ごと裁くための話ではない。

人から褒められるたび、あとで大きな要求をされた経験があるなら、身構えることにも理由がある。「あなたならできる」と言われて、仕事をどんどん増やされたことがある人もいるだろう。

受け取るのが難しい自分を、さらに責める必要はない。まず、目の前の言葉に何が含まれていて、何をこちらが付け足しているのかを見てみようぜ、というはなし。

 

今日のお礼を、明日からの契約にしない

「あなたがいてくれて助かった」

この言葉を受け取ると、これからも助け続けなければならない気がするのか。

次も期待を超えなければ。がっかりさせてはいけない。今度は断れない、と?

それなら、今日のお礼が、明日からの勤務表になる。

でも、「今回、役に立ててよかった」と言うことは、「今後の依頼をすべて引き受けます」と言うことではないよね。

今日、喜ばれたことを受け取り、来週の依頼は来週の条件で考える。できないことは断る。手に余るなら、別の人を紹介する。

感謝を受け取ることと、相手の期待を引き受けることは、別々に決めていいんだよ。

反対に、相手が本当にお礼を材料にして断りにくくしているなら、その圧力まで「ありがたく受け取る」必要はない。

「そう言ってもらえてうれしいです。ただ、今回は引き受けられません」

この二つの文は、同じ口から出してよい。口も、そこまで不器用ではない。

「ありがとう」は、相手の側で起きたことの報告でもある

「私は、感謝されるほどのことをしていない」

そう思ったとき、相手にとって何が助けになったのかを、まだ聞いていないことがある。

こちらは、質問に一つ答えただけかもしれない。相手は、その質問をしてよいかどうかで、ずっと迷っていたかもしれない。

こちらは、返事を一行送っただけかもしれない。相手は、無視されていないと分かって、次の作業に進めたのかもしれない。

これらは可能性の例だ。相手の気持ちを美しい物語で勝手に補完するのも、違う。知りたければ、聞けばいい。

「どのあたりが役に立ちました?」

もっと褒めてもらうための質問としてではなく、相手の経験を知るために。

思いがけない答えが返ることがあるだろう。自分が苦労した説明より、最後の「急がなくていいですよ」のほうが残っているかもしれない。

私の苦労の量と、相手が受け取ったものの大きさは、同じ目盛りでは測れない。

感謝を受け取るには、自分の価値を高く見積もる必要があると思っていた。けれど、相手には自分と違う経験があると認めることから、受け取れる場合もあるのではないか。

「私にはたいしたことではなかった」と「あなたには大切だった」を、同時に置いてみる。

片方を消さなくても、会話は続けられる。

欠点を消してから、喜ばなくていい

自分のしたことを改善するのは大切だ。説明の順番を直す。間違った数字を訂正する。遅れた連絡について謝る。

ただ、改善点があるたびに、届いた感謝まで返送しなくてよい。

これは反省をやめる話ではない。反省と、相手の喜びを聞く時間を、少し分ける話だ。

PCMで大切にする、存在価値と行動の評価を分けるという考え方を、ここでも使ってみる。

何かを間違えたからといって、人として丸ごと駄目になるわけではない。同じように、何かが役に立ったからといって、いつでも完璧な人を演じる義務が生まれるわけでもない。

今日の説明は役に立った。次は、もっと分かりやすくできる。

両方あっていい。

「まだ足りない」は、次の工夫を考える言葉として使える。しかし、今日すでに起きた良いことを取り消す権限までは渡さなくてよい。

感謝を受け取る練習は、自分に甘い点数をつける練習というより、毎回点数をつけなくても、人とやり取りできるようになる練習なのかもしれない。

次の一回、返事を一文だけ変えてみる

次に「ありがとう」と言われたら、すぐ自分の欠点を並べる前に、一息だけ置いてみる。

そして、たとえば、こう返す。

「役に立てたなら、よかったです」

まだ落ち着かないなら、

「そうだったんですね。教えてくれて、ありがとう」

それで会話を終えてよい。喜びを大きく表現しなくても、自信満々にならなくてもいい。必要な訂正があるなら、そのあとで具体的に伝えればいい。

目指すのは、褒め言葉を何でも信じる人になることではない。相手の言葉を聞いた瞬間、自分の総合評価へ飛んでいく動きに、一つ別の道をつくることだ。

冒頭の同僚も、ようやく席へ帰れる。

説明が助かったと伝えたかった。伝わった。よかった。

そのくらいの小さな出来事のまま、終われることには、静かな自由がある。

君はまだ、不器用かもしれない。未完成で、心配性で、人に見せたくない引き出しもあるかもしれない。

それでも、誰かの一日を、少し楽にしたことがある。

その二つを、もう争わせなくていい。

君が最近、謙遜と一緒に返してしまった「ありがとう」の中には、相手が君に知らせたかった、どんな小さな喜びがあっただろうか。

 


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本稿は、PCMで扱う「コミュニケーションの意味」「存在価値と行動評価の区別」、および「今日の咒術」の感謝に関する考え方をつないだエッセイです。

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