提案した企画が、会議で見送られた。
帰り道、頭の中ではもう結論が出ている。
「私は、この職場で必要とされていない」
胸が重い。明日の出勤を考えると気が沈む。その苦しさは、実際に感じているものだ。
ただ、会議で見送られたのは企画だった。「自分が必要とされていない」という説明まで、確かめられたのだろうか。
私は、この二つを丁寧に分けたい。
苦しさを疑わずに、その苦しさを説明している言葉は、確かめ直してもいい。
出来事のあとに、説明が続いている
鈴木祐さんの著書を紹介したPHPオンラインの記事では、人が出来事をどう受け取るかに、過去の経験から生まれる予測や解釈が関わる、という見方が示されていた。
記事はそれを、脳がつくる「物語」として説明している。そこから私は、日常で自分が採用している説明について考えたい。
企画が通らなかった。予算が合わなかったのかもしれない。時期が早かったのかもしれない。説明が十分に伝わらなかったのかもしれない。本当に評価上の問題があった可能性もある。
まだ理由を聞いていないのに、「私には価値がない」だけが確定してしまうと、次にできることまで狭くなる。
改善点を聞くより先に、引きこもりたくなる。別の提案を考える前に、自分には無理だと思う。
ここで必要なのは、無理に明るい説明へ置き換えることだろうか。
私は、まず「理由はまだわからない」と言えるところへ戻ってもいいと思う。
楽になる話を、無理につくらなくていい
「きっと、もっと大きなチャンスが来るからだよ」
そう考えることが助けになる日もあるだろう。ただ、それも確かめられた事実とは限らない。
つらい物語を、都合のよい物語で急いで塗り替える。すると、現実を確かめる仕事が、また後回しになることがある。
「今回の企画は通らなかった。私は落ち込んでいる。理由は、まだ十分に聞けていない」
この言い方には、華やかな救いはない。けれど、聞きに行く余地がある。
自分の価値について最終判決を出さずに、目の前の出来事へ戻れる。
苦しさは、考え方だけで決まるものではない
ここは慎重でありたい。
外から同じように見える出来事でも、その人が背負っているものは違う。生活への影響、過去の扱われ方、今の体調、相談できる相手の有無。そうした条件まで同じとは限らない。
同僚が平気そうだからといって、自分も平気であるべきだ、とは言えない。そもそも、その同僚が内側でどう感じているかも、見た目だけではわからない。
実際に侮辱された。約束を破られた。繰り返し不当に扱われている。そうした事実があるなら、必要なのは解釈を変えることだけではない。記録を残す、支援を求める、距離を取るなど、状況への対応も考える。
元記事は科学的な見方を紹介する書籍の抜粋であり、「苦痛の原因はすべて脳内の物語だ」と実証した一つの研究ではない。本稿でも、脳の特定の部位や処理速度で、個々人の苦しさを説明し切ることはしない。
解釈を見直すのは、現実の問題をなかったことにするためではない。何に対応する必要があるのかを、もう少しはっきりさせるためだ。
三つに分けて、一つだけ確かめる
私が日常で提案したいのは、気になる出来事を三つに分けて書くことだ。
一つ目は、確認できている出来事。
誰が、何を言ったか。何が決まり、何が起きたか。「嫌われた」ではなく、「提案は今回採用しないと言われた」と、できるだけ具体的に書く。
二つ目は、自分に起きている反応。
悲しい。悔しい。胸が重い。逃げたい。ここでは、「そんなことで」と小さく扱わない。理由がまだ不明でも、今の反応を休ませたり、誰かに聞いてもらったりしていい。
三つ目は、その出来事につけた説明。
能力を見限られた。もう任せてもらえない。今後も全部うまくいかない。そう考えているなら、そのまま書く。そして、どこまで確認できているかを見る。
分けられたら、一つだけ確かめる。
「今回は、どの条件が合わなかったのでしょうか」「次に提案するとしたら、何を直すとよいでしょうか」
尋ねにくい関係なら、無理に本人へぶつけなくていい。信頼できる人と状況を整理することも選べる。
目的は、必ず良い答えを手に入れることではない。自分の頭だけで完成させた結論に、確かめた情報を加えることだ。
誰かの相談を聞くときも、説明を奪わない
相談を受ける側が、すぐ「それはあなたの思い込みです」と言ったらどうなるだろう。
本人の説明を訂正することには成功しても、その人がもう話したくなくなるかもしれない。
私は、まず「それで、どんな気持ちになったのか」を聞きたい。そのうえで、「相手がそう考えているとわかった言葉や出来事はあった?」と、一緒に確かめる。
反対に、「その人はあなたを妬んでいるんだよ」と、こちらが別の物語を与えすぎることにも気をつけたい。励ますつもりでも、相手の内心を確認したわけではない。
本人の経験を尊重しながら、わかっていることと、まだわからないことを並べる。その場所で、次の行動を一緒に考える。
「まだわからない」は、自分を守る言葉にもなる
わからないままにしておくのは、落ち着かない。
だから、たとえ苦しい説明でも、結論があるほうへ急ぎたくなることがある。「私はだめだから」で終えれば、少なくとも理由はついたように感じる。
けれど、その理由は、自分の未来まで閉じてしまわないだろうか。
私が意識進化として大切にしたいのは、もっともらしい説明を思いつく力とともに、その説明を保留できる力だ。
つらい自分を置き去りにしなくていい。つらいからこそ、まだ確認していない結論で、自分を追い詰めなくていい。
今日の咒術
この苦しさは、大切に扱う。この説明は、もう一度確かめる。
君がいま、自分について確定させている言葉の中に、まだ確かめていない説明は混じっていないだろうか。
執筆のきっかけ
鈴木祐「同じ出来事でも『苦しむ人』と『苦しまない人』がいるのはなぜ? 脳が作る物語の正体」(PHPオンライン、2026年9月10日公開)。『最高の状態 無』(クロスメディア・パブリッシング)の抜粋記事。本稿の具体例と対話への提案は、私自身の考察です。
自分の見方と、人との関わりを問い直す学びを1UNO塾で。講座や最新のご案内は、宇野ひろみの公式LINEから受け取れます。
