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  1. unohiromi
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「分かってから、参加しよう」。その順番は、誰が決めた?

「まだ基礎が分かっていないので、もう少し勉強してから参加します」

講座でも、職場でも、よく聞く言葉だ。謙虚で、誠実な態度に見える。

けれど、その「もう少し」は、いつ終わるのだろう。基礎を固めているうちに、参加している人たちは先へ進み、自分は「まだ参加できない側」にいる時間が長くなる。

その前に、一つ確かめたい。

「分かってから、参加する」。その順番は、誰が決めたのだろう?

研究は、選ばれた学生だけのものだった

アメリカの大学で、理系(STEM:科学・技術・工学・数学)の学生が「研究」に触れる機会は、多くの場合、限られた学生のものだった。成績が良く、教員の目に留まり、研究室に入れてもらえた学生だけが、本物の研究を経験する。

一方、入学したばかりの学生がまず通るのは、大人数の入門授業だ。ここで単位を落としたり、履修をやめたりする学生が多く、理系を離れる最初の関門になっている。英語では、こうした授業を「ゲートキーパー(門番)」と呼ぶ。

そこで、研究の経験を、選ばれた学生だけの研究室から、全員が受ける授業の中へ移す試みがある。授業の中で、学生が実際の研究の過程に参加する。これを「CURE(授業に組み込んだ学部生の研究体験)」という。

入学者11,124名のうち、232名

2026年10月1日、学術誌 Frontiers in Sociology に、このCUREの効果を調べた研究が掲載された。アリゾナ大学のヘザー・ヘーガー氏らによるもので、全文が無料で公開されている。論文の全文

アリゾナ大学では、理系の入門授業を担当する教員が、1週間の集中研修と1年間の実践コミュニティを通じて、自分の授業をCUREに作り直している。入門生物学の実験授業が最大で、ほかに物理学や地球科学などの入門授業がある。授業で扱う基本の内容は変えずに、そこに本物の研究を組み込んだ。

調べ方は、こうだ。

  • 対象:2022年度の入学者全員、11,124名の大学の記録。
  • 比べたもの:1年目にCUREを受けた232名と、受けなかった学生。
  • 見たもの:1年後・2年後に大学に在籍しているか、理系に残っているか、2年目の終わりの累積成績(GPA)。

面白いのは、学生が自分でCUREを選んだわけではない点だ。履修案内には、どのクラスがCUREかは書かれていなかった。学生は必修の授業に登録し、たまたまそのクラスがCUREだった。

似た学生どうしで比べても

ただし、CUREを受けた学生は、もともと違っていた。理系の学生が多く、フルタイムで在籍している学生が多く、1学期目の成績も高かった(平均3.36対2.70)。これでは、比べても意味がない。

そこで著者らは、「傾向スコア・マッチング」という方法を使った。専攻、在籍形態、家庭の背景、1学期目の成績などが近い学生を、CUREを受けなかった側から選び出し、似た者どうしで比べる。1学期目の成績の差は、3.36対3.32まで縮まった。

その上で、こうだった。

  • 2年後に理系に残っていた割合は、CUREを受けた学生のほうが、はっきり高かった。
  • 2年後に大学に在籍していた割合も、高かった。
  • 2年目の終わりの累積成績も高かった(似た学生と比べて、平均3.38対2.41)。

一方、1年後については、似た学生どうしで比べると差は小さかった。理系への残留はぎりぎりの水準での差にとどまり、大学への在籍では統計的に有意な差がなかった。差がはっきりしたのは、2年目に入ってからだ。

この研究が、言っていないこと

ここは、分けておきたい。

  • 無作為に振り分けた実験ではない。似た学生を統計的に選んで比べた、後からの分析だ。似せた後でも、CUREを受けた学生は、理系の学生とフルタイムの学生が多いままだった。意欲など、記録に残らない違いは調整できていない。
  • 「所属感」や「自分は研究者だ」という意識は測っていない。使ったのは大学の記録(在籍、専攻、成績)だけだ。なぜ残る学生が増えたのか、その心理的な仕組みは、この研究からは分からない。
  • 一つの大学(アリゾナ大学)の、一つの入学年度の結果だ。
  • 研究は、このCUREの取り組みを含む事業への、米国教育省の助成を受けて行われている。

「受け取る人」と「作る人」を分けると

ここからは、論文を手がかりにした私の考察である。

知識を受け取るだけの人と、問いを立てて知識を作る人。これを制度として分けると、分かれるのは能力だけではないと思う。「自分はここにいていい人間だ」という認識まで、分かれてしまう。

研究室に入れた学生は、教員と一緒に問いを立て、失敗し、データを見る。その過程で、「自分は理系の人間だ」という感覚が育つ。入れなかった学生は、大講義室で、他人の作った知識を受け取り、試験で返す。同じ大学にいても、片方は「中の人」、片方は「お客さん」になる。

繰り返すが、この研究は所属感を測っていない。だから、これは私の仮説だ。ただ、効果が1年後より2年後にはっきり出ていたことは、気になる。研究に参加したことが、成績の点数だけでなく、その後の選択に何かを残していた可能性がある。

所属とは、肩書ではなく、未来への接続だと以前書いた。所属は、肩書ではない。未来の接続だ。 探究への参加権は、その接続口の一つなのだと思う。

そして、「分かってから参加する」という順番は、多くの場合、自分で選んだものではない。教える側が、制度が、「まず基礎、研究はそのあと、それも選ばれた人だけ」と決めてきた順番だ。

もちろん、参加しただけで学びが残るわけではない。参加したこと、その場でできたこと、身についたことは別だ、という話も書いた。答えは完成した。では、君の中に何が残った? だからこそ、参加の中身が問われる。自分で問いを立て、自分で確かめる過程があるかどうかだ。

講座の中に、小さな「研究」を作る

以下は、論文を手がかりにした、1UNO塾や講師育成での私の実践案で、この方法を研究で確かめたわけではない。

講座の中に、小規模な「研究参加」を作る。

  1. 本人が問いを立てる:講師が用意した問いではなく、受講者自身の「なぜだろう」から始める。
  2. 観察方法を選ぶ:自分を観察するのか、相手の反応を記録するのか、日誌をつけるのか。
  3. データや実例を集める:一週間でいい。数えられるものは数え、言葉は書き留める。
  4. 予想と異なる結果も共有する:うまくいった話だけを持ち寄らない。
  5. 講師の理論に反する結果も残す:これが、いちばん大事かもしれない。

五つ目について、少し書いておきたい。講座で「研究」をすると、どうしても講師の理論を確かめる作業になりやすい。受講者は、講師の期待する結果を、無意識に集めてしまう。それでは、知識を作っているのではなく、講師の知識を受け取り直しているだけだ。

講師の理論に合わない結果が出たとき、それを消さずに残せるか。そこで初めて、受講者は「受け取る人」から「作る人」になる。講師にとっては居心地が悪い。けれど、その居心地の悪さこそが、場が本当に探究の場になっている証拠だと思う。

セルフトークは、

「理解してから参加するのではなく、参加しながら理解を作ってよい」

門番か、入口か

入門授業は、ふるい落とすための門番にもなれるし、中へ招き入れる入口にもなれる。違いは、学生の能力だけで決まるのではなく、授業の作り方でも変わりうる。

同じことが、講座にも、職場にも、家庭にも言えると思う。

君が今、「まだ早い」と参加を見送っている場所。その入口を閉じているのは、本当に君の理解の浅さだろうか?


参考文献:

確度:一つの大学の一入学年度(11,124名、うちCURE受講232名)の記録を用いた、傾向スコア・マッチングによる後ろ向きの準実験。2年後の理系残留・大学在籍・累積成績の差は論文の結果に基づくが、無作為化されておらず、観測されない違いの影響は残る。所属感やアイデンティティは測定されていない。「参加権が所属の認識を分ける」という読み方と、講座内の研究参加は私の考察・提案であり、研究で検証されたものではない。


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